小田城・真壁城・関城


前日から首が回らなくなって明日はもう病院だ!
と、覚悟を決めた夜
酔っ払って帰ってきたタクジローは
「明日茨城の城だから早く寝ろよ」と、ベッドへ。
「この首でいけるのかなあ・・・雨よ降れ!」
願いむなしく首を無理やり支えて朝五時に起きれば青天!
「今日は山城もなく、長距離歩きもなし、
 うなぎもないけど、温泉はある、病院は明日行け」



マ、実際この日の最初のまともな城?はこの有様
この前日の雨でぬかるんだ泥野を城と言うならね?
古代遺跡発掘現場と同じゃありませんか?
発掘指導に来ていらした人が、見物の私たちを見て
発掘状況のパンフを持ってきてくださいました。
それを見ればここが縄文時代の小屋跡ではないことが分かる!
あの寒さの中、発掘作業の方々には本当に頭が下がります。


殆ど城の碑ばかりのような城跡をめぐり
再び少しは印象に残りそうな城にたどり着いたら、またしても発掘現場?
真壁城址でした。



小田城以上に広い荒野でした。
本当にここも城?ってかんじでしょ?
縄文弥生遺跡ではありません。
こんな城もタクジローは嬉々として端から端へ
さして撮る必要も無いような?写真を撮るべく走り回っておりました。
市の見回りの方がグッドタイミングで来られたので
どのくらいで全ての発掘調査を終える予定かお聞きしたら
「専門家じゃないので・・・大体予算もまだ付いてないし・・・」
状態だそうで、タクジローの十年計画よりも杜撰?
ただ、この城の城門が雨引き観音に移築されているとのこと
そこへ出かけていきましたら、これが立派!
孔雀は放し飼いにされあちこちで鳴いているし、
後朱印までゲットできましたし・・・



只、この日最後の関城では出会いがありました。
城の碑の隣家の「箱守家」



御当主夫妻は城址碑を撮っている私たちを招いてくださいました。
「差し上げたい資料もあるし、説明して上げられることも有るから」
お珍しい苗字ですが元は関城主の墓をお守りする
「墓守」から出た苗字なのだそうです。
説明版にある青年はこのご主人のお父様だそうです。
家系も、発見なさったお父上も、誇りになさっているようで
なんかちょっと温まるお話でしょ?


首は最悪でしたけど・・・