東北の南北朝


今回のタクジローの城廻旅で
期待していなかった城跡を幾つか見つけた。
と、いってもそれはいつもいつも
なんの知識も持たずに只付いていく傍観者私であって
タクジローはちゃんと勉強して行ったのでしょう。


南北朝の戦いが東北地方へまでしっかり?
及んでいたのだと言う事を事実として目にしました!
ソリャ武家が命運を賭けた時代ですもの
武家の地に波風が起こらなかったはずはありませんよね?


南北朝と言えば私にとっては楠一族だけが華!
後醍醐天皇なんて言ってしまえば・・・厭な奴!
笠置山ー船上山ー吉野深山・・・後醍醐天皇って連想ですが
八剣山とか山頂のぎざぎざの険しい岩だらけの山を見つけると
「後醍醐好みの山だぁー」
自分を護ることしか考えてないだろー
国のことなど考えていないだろーって。


吉野で「かえらじと・・・」なんて読めば、涙涙涙・・・
千早赤坂城の攻防から四条畷まで
走馬灯のように・・・!!!なのにね!




南朝の藤島城 . 北朝の高水寺城



南朝から北朝に寝返った岩切城(昨夏行った)



兄弟で南朝北朝に分かれた和賀氏の二子城(飛勢城)・岩崎城
「兵どもの夢の後」と、城跡眺めながら
東北も中央の政変・欲望の嵐の余波は避けられなかったんだ・・・
それが自分の利にもなるわけで・・・と実感しました。


だから?やっぱりこの地は
前九年、後三年などという地名が残っていたりして、



小さな安倍貞任・宗任神社があって
やっぱり安倍氏以前の平原のロマンがいい!
東北の駿馬に跨って颯爽と疾駆する蝦夷
平将門や安倍一族→奥州藤原三代→義経の路線
中央に対立する雄々しさと滅び