まるごとドイツ7


ドレスデン、運命の日」編

エルベの岸辺、エルベ川フィレンツェドレスデン


ドイツの敗戦が確実になった1945年2月に行われた、
第二次世界大戦戦勝国英米軍による空襲により、
廃墟となったドレスデンを描いた映画があった。
ドレスデン、運命の日
当然私は1945年3月10日からのアメリカの
焼夷弾による東京への絨毯爆撃を思い浮かべる。
爆撃の結果である廃墟の様相で、ドレスデンと東京の決定的な違いは、
主に石造建築である欧州の都市の場合
それは殆どおびただしい瓦礫の山であって、
東京の場合は一面の焼け野原であったということだろう。
そう「第三の男」で見た戦後のウィーンも
あちこちに瓦礫が積みあがっていた
ドレスデン、運命の日」も
旧市街地の爆撃により崩れ落ち瓦礫となっていく建築群と
その崩壊により圧死していく人々の様が戦争の恐怖を伝えていた。
そして東京の空襲の場合は
火に追われて逃げ惑う人々と焼けこげ窒息して死んでいく人々、
川や池、プールで凍死溺死していく人々のむごたらしさの記憶。


今回の旅3日目にドレスデンを訪れた。
戦後65年の東京を見ている私はドレスデン
どんな街になっているか興味があった。
映画でも見たが、戦後?2005年
聖母教会フラウエンキルヘ再建のニュースは記憶にある。
市民が瓦礫を丹念に集め長い時間をかけて修復した話だ。
そして初めて見るドレスデンは・・・
廃墟から立ち上がった新しい町ではなかった! 
そのまま、中世のまま、
廃墟の中にそのまま立ち上がっただけのように見えた。 
瓦礫を丹念に集めて・・・
結果45%が元の建築物からのオリジナルのものだという


        フラウエンキルヘ



フラウエンキルヘのように、
↓旧市街地を構成するドレスデン城、ホーフキルヘ、


↑ゼンパー・オーパー、ツヴィンガー宮殿なども


みんなそれぞれの瓦礫を集めて作り直されたものの様に見えた。 
破壊を免れたアウグストゥス・ブリュッケ橋と
全く同じ古さに見えるではないの?
なぜならこれらの建物が黒々として非常に古く、
何世紀もの時を潜り抜けてきたかのように見えるからだ。 
が、この石の黒さはザクセン産の砂岩が鉄分を含有しているから。
ちょっとこける気もしないでもないが、その効果は抜群だ!


キラキラとガラスに輝く東京の再建と対極に位置する気がした。
勿論都市機能や規模において比べることはできないが、
それでも妙に羨ましい気持ちになってしまった。
「木と紙と瓦屋根の東京を再建して」
・・・なんて言う気持ちは全く無いが、
燃え尽きてしまった見たことも無い昭和初期の東京に
妙に郷愁を感じてしまった。
木の柱と土壁とモルタルで塗られ物干し場の突き出たあの2階屋に
今更住みたいとはこれっぱかしも思っていないのに・・・
先祖が歩いていた・・・みたいな街で
暮らし続けている人が妙に豊かに羨ましく思えてしまった。


↓唯一全きオリジナルのドレスデン城のタイル画「君主の行列」