続・北海道のチャシ


僅かな日数で大急ぎのチャシ巡り
フレトイチャシ・島松川左岸チャシ・桜チャシ・発寒チャシ
ユオイチャシ・ポロモイチャシ・ポンカンカンチャシ
と回って新冠に入りました。

 

まずは判官館なのですが、タクジロー氏の説明は
そこはピポクチャシなのだそうですが・・・
どうやら後で情報間違い?だったらしいです。
よくそういうことがあって、帰ってくると分かるのだから
「行く前にもっとしっかり調べておけばいいのに・・・」
なんて言ってしまいますが・・・行って分かることもあるらしい?
ま、ご愛嬌?
でも遠くのことで2度のチャンスがあるかどうかと言う時は「痛い?」


判官館はロマンチックな伝説に彩られていましたから
それはそれで楽しいのですが・・・
義経伝説の底深さ、根強さ・・・裏返すと鎌倉は嫌われ者ってこと?


氷川神社チャシも本来の名を失った哀れなチャシでした。
せめてその昔呼ばれていた名だけでも留めてあげたいものですね。
その点、二度目の登城?となったシベチャリチャシは
まだ幸せといえるかもしれません。
シャクシャインの記憶と共にこの静内川が海に注ぐ高台で
間歌公園の記念館と資料館に支えられて。
ホイナシリチャシもその隣で小さな灯台と共に海を見ていました。


次のメナチャシはチャシとしてより、稲田家による、
北海道開拓の土地としての脚光が勝っていました。
北の零年」はひどい映画でしたが、静内のロケ地を残しました。
案内板やレリーフは開拓の苦労を想像させますが
それは歴史の勝者の一つの面に過ぎません。
それでも、長閑で豊かな美しい牧場の広がりは
この地の永遠を保障してくれるといいなぁ・・・と思わされます。

オチリシチャシ、ルイオピラチャシ、シュップチャシと
新ひだか町では6つのチャシを回りました。
タクジローは新ひだか町はチャシの宝庫だと言っていましたが
「チャシであったかもしれない」もののようでした。
歴史を辿ることは時々悲しいものだと思うことがあります。