北海道のチャシ


師走にもまだ入らぬのに、慌しく毎日を過ごしているうちに
北海道旅行もあっという間に記憶の外に・・・
40年前にはこんなに月日が駆け足になるなんて予想も・・・


「北海道のチャシ幾つ回ったか覚えてるか?」
「幾つだっけ?(覚えてるはず無いよ)」
「17!」とタクジローは得意げですが
あのチャシ、そもそも登城でいいのでしょうか疑問です。
お台場も陣屋も城の数に入れているようですから・・・
でも争いを好まなかった平和な穏やかなアイヌの人たちは
チャシを城ということに異論はないのでしょうか?
小さかったり、跡形もなくなっていたり、景色が美しかったり・・・
見つける度になんか気の毒な気がします。
和人が争いのタネを持ち込まなかったら
ここに拠って争うことも無かったんではないでしょうかと。


最初に訪れたフレトイチャシは神社になっていました。
そこでは可愛らしい石像が迎えてくれて
その石像が荒地になっているチャシを悼んでいるのかも・・・と。

島松川左岸チャシは本当はなんと呼ばれていたものだろうか?
こんな名で呼ばれたはずは無い
しかしここはチャシだった記憶を忘れ果てて?紅葉の盛りを迎えていた。
今年最初の豪華な秋だった!


発寒チャシは私たちが山登りのシーズンに備えて
足慣らし?のために散歩した発寒川河畔の公園のところ
あの頃はそれと知らずにいい公園だなぁと歩いていたなぁ・・・


増毛や浜益は札幌在住の折何度かウニを食べに通った。
だけどこんなに丁寧に町を見て回ったのは初めてだった。
ここは当然陣屋、和人の建てた拠ったところで
それだけに?元陣屋資料館も立派な建物が建ち内容も充実していた。

ユオイチャシ・ポンカンチャシ・ポロモイチャシ
平取町にあるチャシはある意味では二風谷があるので
アイヌの雰囲気が色濃く残っているのかもしれない。
アイヌ文化博物館や沙流川歴史館などもあり
民族に対する配慮や努力の跡が見られるのだが
その一方で二風谷ダムの建設で真の遺跡が破壊されている。
妙な矛盾点を意識させられたようだ。
ダムは美しく真っ青な秋空の下で威容を誇っていたが
こんなレリーフがさりげなく可愛いく挟み込まれていた↓

と、まぁこんな風で私もこうなのだから
チャシはこれから益々忘れ去られていくことだろう
丁度民族と民族が同化していけばいくほど・・・それが自然?
それだけに穏やかだったと聞く民族性に負うところが大きいのだろう。
明日も飲み会に行くようならチャシの続きを・・・